玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

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(一)六歳の子が、その日も麦を刈っていた

kagee01初代大先生は、明治三年(1870)一月十一日、和歌山県海草郡湊村の御膳松で誕生されました。断髪令の出るのが翌年ですから、ちょんまげ時代の最後の年です。湊村は現在では和歌山市の一部。また御膳松という地名は、昔、紀州の殿様がその近くの小さな丘の、松の根方で食事をされたことから、つけられたものだそうです。   家は農業を営んでおられ、家族はご両親と、お姉さんが一人に妹さんが二人でした。当時のことですから、師も小さい頃から農作業を手伝っておられたようです。また、村のお寺の境内が子供たちの遊び場所になっており、そこの住職だった尼さんから、誉められた話も残っています。  「村の人が、あんたのお父さんのことを千年暦と言うが、あんたは万年暦じゃ」   千年暦というのは、もの知りとか、もののわかった人のことですが、小さいながらも受け答えが賢くて、尼さんを感心させたのだそうです。   光景も雰囲気も、多分まだ江戸時代そのままだったおだやかな農村で、師は、まずは幸せな幼少期を過ごしておられたのでしょう。

しかし、五歳のときにお父様が亡くなられ、師の境遇は一変します。女手ひとつで子供が四人という農家暮らしは難しく、翌年には家と田畑を処分して、家族は離れて暮らすことになりました。お母様と妹さん二人は実家に身を寄せられ、お姉さんと初代大先生は、それぞれ別の親戚に預けられることになったのです。  kagee02その出発の日、師の姿が見えないので皆が探したところ、畑で麦を刈っておられたというお話が伝わっています。まだ小さいから、母親と別れるのがつらいのだろう。無理もないことだ……   そう思って探していた親戚の人たちが、驚いてわけを聞くと、師は、「親戚の家へ行けば、もう手助けができなくなるから、いま刈れるだけ刈っておけば、少しでもお母さんの助けになるだろうと思って」と、こたえられたそうです。

このお話については、後年、二代大先生(湯川茂師)が『先代を語る』(玉水教会。昭和五十九年刊行)のなかで、「考えてみたら、六つですなあ。満六歳で、そんなに親のことを考えられるかしらんと、私は疑問のような気もする」と言っておられます。「まだ小学校へも行かぬ六つぐらいで、麦を刈るという、そんなことができるかしらんと、いまだに不思議に思うとります」が、「その時分からやっぱり、親を助けたいという、そういう思いが強かったらしい」との感想です。  しかしそれでは、そのとき師は、勇んで刈っておられたのでしょうか。それとも涙をこらえながらでしょうか。そこを想像していただければ、このお話も単なる孝行美談にとどまらず、師の人間形成の足跡を、情がともなったかたちで理解していける、一助になるのではないかと思います。

湯川安太郎 その人と時代

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