玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

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(五)十四歳で、問屋商売をまかされた

 師が預けられていた親戚、鮮魚問屋の「河清」には、先代と当代の両夫婦がおられました。どちらも真面目で働き者の師を大事に扱ってくれ、商売のことも親切に教えてくれたそうです。
 また、その先代当主の奥様も、師が立場上いろいろ辛いめ苦しいめをして、「もう辛抱ができぬというようなときでも、陰に回って慰めたり励ましたりしてくれた」とのこと。二代大先生(湯川茂師)のお話によれば、師は後年その当時を回想して、「この人がおったから、私は辛抱を続けることができた」と、言っておられたそうです。

 一方、当代の主人は師が十四歳のとき、三十八歳という若さで病没されました。生前、「おまえが一人前になってくれたら、この家も復興できるかもしれない。大変だろうけど、辛抱してやってくれ」と言われ、老齢の親夫婦と自身の奥様についても、「ぜひ面倒を見てやってくれ。だれも世話してもらう人がない。あんたにどうぞ頼む」と、折に触れて頼まれていたそうです。
 店を継ぐ立場の人はいたのですが、「どうも頼りにならぬと思う。おまえでなくちゃ我々の家や店の面倒を見てもらうことはできないから、頼むから」ということだったのです。
 そのため、師は十四歳で河清を切り盛りすることになったのですが、四回目の末尾でふれた「天が大任を降す者に与える苦しみ」を、このときの師にあてはめれば、次のようなことになります。

・先代夫婦や亡くなった主人の奥様の「面倒をみる」とは、経済面でもということである。
・しかし店の内実は厳しく、前々からの借金が、そう簡単に返せる額ではなくなっている。
・なのに跡継ぎの男性は、師より四歳年長だが、商売の腕や熱意に劣り、頼りにならない。
・またその彼は、預けられてきた子供時代の師を居候扱いして、いじめた当人でもある。師は小学校を三年でやめさせられたが、その人はその後も、学校へ行かせてもらっていた事実もある。
・一方、御自身のお母様は妹さん二人と実家に身を寄せているが、決して歓迎されているわけではなく、そちらも何とかしなければならない。

 明治十七年という時代であり、数え年が十五歳で、昔の武士なら一人前とみなされる年齢だったとはいえ、このときの師に与えられた苦しみを表す言葉は何でしょう。「すさまじい」でしょうか。「いたわしい」でしょうか。
 しかもそれらの苦しみには、自身が何か悪いことをしたからとか、商売で失敗したためとか、師に直接の責任があることなど、ひとつもないのです。ただしそれは、「この世」の枠内で考えればということであり、御自身の霊(みたま)としての四代前に さかのぼれば、責(せき)を負うべき深い「めぐり」があるのだと、ずっと後年に、神様から教えていただくことになるのですが……

湯川安太郎 その人と時代

湯川安太郎 その人と時代

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