玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

MENU

(九)絶対絶命になったとき、天地金乃神の名前がうかんできた

 靱の塩干物問屋、貴田商店。そこに奉公された師は、持ち前の元気と活気で仕事に励まれました。奉公した以上、起きてから寝るまでの時間は主人のものなのだからと、自分の身のまわりのことなどは、人より早く起きて遅く寝て、それで作り出した時間に片づけておられたそうです。
 ところが明治二十三年の六月頃から、身体の具合が悪くなりだしました。もちろん医者にはかかり、薬も飲まれましたが、病状は悪くなるばかり。二階の奉公人の部屋で寝ていて、下の階にまで熱臭さが漂うほどになり、年末には重体になって、遂に医者から見放されてしまわれました。
 後年の教話によれば、『医者の方では「何でもよくなるように」と薬のかげんをしてくれたんでっしゃろが、結局「もうあかん」と言われた(中略)。「時間の問題や」と言われるくらいですから極度に衰弱しております。理屈いう気力もない。たのみの綱が切れたんですから、死を待つより仕方がない』という窮地に追い詰められたのです。
 しかし師には、和歌山で苦労して暮らしているお母様がおられます。商売で成功して安心してもらい、引き取って孝行もしたいと思いつづけてきた身ですから、残される母親の悲しみを思えば、あきらめて死ぬわけにはいきません。しかもその悲しみは、先々までずっとつづくのです。それを思えば、何としても助からなければなりません。
 このとき切羽詰まった師の心に、それまでは馬鹿にしていた「神頼み」の気持ちが生まれたのです。それについても師は、「事態がそこまで来ると人間は弱いものです」と回想しておられます。

 それでは、なぜそれまでは、神頼みや信心を馬鹿にしてこられたのでしょう。実はそこには、「ただ単に信心が嫌いと言うんではない。信心するような神仏がないから嫌いなんだ」という、師一流の理屈があったからです。
 たとえば、阿弥陀さんはインドの人だ。インドの人にどれだけ世話になった? あるいは、自分が神社の前で頭を下げるのは、神と祀られた人はとうに死んでるが、その功労は認めるからだ。信心はせんが、功労は敬して拝するのだ。
 さらには、金光さんを信心したら商売繁盛させてもらえるって? そしたら金光教の先生は金持ちか。貧乏やないか。(そんな教えを信じてる人は)だまされてるんだ。商売繁盛は信心したからではなく、(本人が)努力したからだ……
 まさに「ああ言えばこう言う」の理屈屋ぶりには、信心を勧める友人たちも手を焼いたことでしょう。けれどその理屈も、追い詰められたときには力を失い、「願い」のみが残ります。
 とはいえ、どの神さまに願えば助けてもらえるのか。いろいろ考えてみても、どの神さまも本気で頼れる相手とは思えない。そのとき師の頭に、天地金乃神の名がうかんできたのです。

湯川安太郎 その人と時代

湯川安太郎 その人と時代

Copyright © 金光教 玉水教会 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.