玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

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(十三)奉公にも信心にも、「徹底」する姿勢で取り組んだ

 靱の塩干物問屋「貴田商店」に勤める師は、瀕死の大病を助けていただいた縁で信心を始め、立売堀の大阪教会へ通うようになられました。
 同じ西区内で、いつでも参れる距離ですが、師の考えによれば、奉公する身にとって、起きてから寝るまでの時間はすべて主人のものだから、それを私用に使うことは許されません。そこで、他の奉公人より一時間早く起き、一時間遅く寝て、お参りの時間を作りだしておられたそうです。
普通の奉公人なら、そこまで厳格には考えないでしょうし、日中、店の用事で出かけた帰りなど、教会の前を通れば参ったりもするものです。しかし、いったん奉公をすると決めたら、「こうあるべきだ」という奉公人の姿勢に徹底する。ここにも師の、人とは違った理想の高さと、それを実行していく意志の強さがあらわれています。

 また、信心を始めて間もない頃、偶然出会った郷里の人から、「ウチではえらい心配してるじゃないか」と教えられたことがありました。文字通り「逃げるように」、ほとんど無一文で出てきてしまったのですから、無理もないことです。
 だからその人からは、「さしずめ金でも送れば、不自由はしてないと思うて、安心してくれるだろう」と言われたのですが、師には持ち合わせがありません。そこで、神さまにお繰り合わせを願われたところ、ただ一度願っただけなのに、三カ月ほどしたら思いがけない金が入ってきました。
前に瀕死の大病を治してもらえたのは、親を悲しませたくないからと祈ったため。今度のおかげも、親に安心してもらいたいのでと願ったから。そこで師は、「親大切」の思いで願えば、無理なことでもかなえてもらえると確信されたのです。

 そしてその信心ぶりについては、「一を信じたら二を信じる」という行き方で猛進していかれた様子が、さまざまに伝えられています。
 奉公先の奥様が信者さんだったので、店の二階に神さまが祀られている。その前でご祈念されるのですが、他の奉公人から、「安さん、また何やグチャグチャ言うとる。変なやつや」と笑われたり、根太板がゆれるほど「きついご祈念」をして、よく番頭さんに叱られたりもしたそうです。

湯川安太郎 その人と時代

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