玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

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(十四)神さまとお話をさせてもらうには、 「まず心を定める」ことが第一だ。

 その結果、師は信心開始から十一カ月めという早さで、神さまからものを教えていただけだし、その三カ月後には、お話もさせてもらえるようになられました。後年、師自身が、「神さまから、ものを言うてもらうようになるのには、なかなか、五年や十年ではむつかしい」と言っておられるように、これは異例中の異例という早さです。
 そしてそのわけについては、これも後年、「どうしたら、そうなれますか」という信者さんの問いに、師はこうこたえておられます。
「まず心を定めるねん。それが一番大事。決心とでも言いましょうかね。お互いの行く道を定めて、なんぼ難儀であろうと、どんだけ難しかろうと、この道を踏み外してはならんという信念持ったらそうなる」
 教えを信じるという点でも、まるまる信じ切られ、「好きなものが薬」と聞かされて、カシワ(鶏肉)を食べて脚気を三日で治してもらったとか、しもやけの悪い血を大小便に取ってくださいと願って、一日でかなえてもらえたなど、その信じ方の強固さがわかる話が残っています。

 一方並行して、師は奉公先の繁盛も願いつづけられました。しかし、主人が商売に身を入れないため、次第に金繰りも悪くなってくる。その間、友人から「あんなとこに居ったら一生飼い殺しにされるぞ」と注意され、早く独立して自分で商売したらどうかとも言われました。
 けれども師は、「ハリボテ(なかみのない人のたとえ)でもええ。主人は主人だ。私の気にいらん顔をしておっても、私の主人だ」と思われ、水をあびながら祈ったり、徹夜で願いつづけたり、寒中に裸足で教会へ参ったりされました。
 「ただもう、主家の立ち行くよう、主人に道のわかってもらうよう」、それが奉公人の勤めだと思って奮励され、「主人を生かし、主家を富ましたい」「飼い殺しにされるなら、されてみよう」と、奉公に徹しつづけられたのです。

 ところが肝心の主人は、少し金ができると、堂島の米相場(米の価格の取引市場)につぎ込んで無くしてしまう。あるいは、お茶屋(貸し座敷)へ行って、飲み食いの散財をするという始末。
 当時の師は店の集金係もしておられたので、走りまわってようやくもらってきた金を、そのまま米相場やお茶屋へ持って行かれてしまうという、そんな場面もあったことでしょう。
 後に、ご自身で「運命の悪い者はしようのないもので」と言っておられるように、和歌浦の「河清」時代に次いで、またもや金の苦労と商売の苦労を、ずっしり背負わされておられたのです。

湯川安太郎 その人と時代

湯川安太郎 その人と時代

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