玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

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(十五)でたらめな主人にも奉公人として、商売の再興をうながした。

商売に身を入れず、少し金が入ると相場や遊興に使ってしまう。そんな主人であったため、師はお茶屋(貸座敷)へ行ったまま帰ってこない彼を、連れ戻しに出かけたりもされました。しかし、そんな状態で店が立ち行くはずがなく、師が奉公して三年目の明治二十七年(1894)、とうとう貴田商店は倒産してしまいました。
おまけに、主人は債権者に委任状を渡し、自分は身を隠して一カ月ほど帰ってこなかったというのですから、ひどい話です。他の奉公人はすでに辞めたり逃げたりし、上の番頭は債権者側についたため、後始末は師が一人でされたのです。

このとき、本来なら家財道具一式も持って行かれるところですが、師は債権者たちに、主人の家族が一応の暮らしができるよう、それを自分にくれないかと頼まれました。そしてそのうちの二人から、「あんたがうちの店で働いてくれるなら、道具は残してやろう」と言われました。
そこで師は、両方に承諾の返事をして一応の所帯道具をもらい、主人の家族は小さな借家に住めるようにされました。だからそのあと、「さあ。うちの店へ来てくれ」「いや。うちの店へと約束済みだ」と、二人が言い争う場面もあったのですが、結局どちらへも行かずにすんだのでした。

また、別の店からは「娘の養子になって跡継ぎに」と願われたり、働き者だけに引く手はあまたでした。しかし師はそれらをすべて断り、後日帰ってきた主人に、再起をうながされました。
倒産後の後始末まですませたのですから、普通なら、その先は自分の将来だけを考えても、誰からも文句は出ないはずです。けれども、主人の商売再興を第一に考える師は、「もう一度立ち上がってほしい。私は奉公人として、どこまでも尽くすから」と、力づけられたのです。
しかし主人にその気力はなく、とどのつまり、二人はそれぞれの道を歩むことになりました。そこで師は、その後の身の振り方について、ご本部に参拝して三代金光様にお伺いをされたのです。

湯川安太郎 その人と時代

湯川安太郎 その人と時代

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