玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

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(十六)小売り商売を決心したのは、天地のお言葉には背けないと思ったからだった。

 三代金光様は、その前年(明治二十六年)末に二代様の跡を継がれたばかりで、二十四歳の師がお伺いをされたときには、まだ十五歳になるかならずでした。しかし、師がのちに教話のなかで言っておられるように、どんな問題にも「はきはきとものを言われ」、このときには「小売りをさせてもらいなさい」とおっしゃいました。
 ところが師は問屋畑で育ち、手紙一本で荷を送ってくれる得意先も、何軒もあるという身です。また後年のご自身の述懐によれば、その当時は、「気位が高い、我が強い」性格だったので、その時代の業界風潮もあってでしょうが、小売り商売というものを低く見ておられました。
 そのため、「そんなことができるか」と思い、「小売りしようにも、資本がございません」と、言葉を返されたのですが、「おかげを頂けば、資本金はなくてもよろしい」と、だめ押しのお言葉が下がったのでした。

 だからそのあと二週間余り、師は腹を立て、迷い、あれこれ考えつづけられました。
 人をバカにしてる。小売りしてるなどと、郷里へ聞こえても恥ずかしい。元の取引仲間からも、甲斐性がないように思われる。とはいえ、金光様のお言葉は天地のお言葉だ。そのお言葉に背くと、天地に背くことになる。どうしたものだろう。お伺いなど、するもんじゃないな……
 そして遂に、「死ぬよりもつらいこと」だが、天地のお言葉に従おうと決められたのです。
 そしてその小売り行商の初日、貸し売りしてもらったスルメを篭に入れ、師は「面でもかぶらんと歩けん」ような恥ずかしさを感じつつ、朝から町の家々をまわられました。しかしまったく売れないので、切羽詰まった気持ちで神さまにお願いし、「花街へ行け」と教えていただかれたのです。
師は信心を始めてから一年弱という早さで、神さまから、ものを教えていただけるようになっておられました。ただし、それは神前で祈りに祈った上でのことで、道を歩きながらのお願いで教えてもらえたのは、これが初めてのことでした。

 ところが新町で三百軒ほど、堀江で六十軒ばかり、昼食抜きでまわってもやはり売れません。
しかし師はこのとき、「まだ四時だ。日暮れまでに二時間ある。何でもその間に」と、自分ながら不思議なほど平静な心で、まわりつづけられました。途端にスルメがバタバタッと売れ出し、全部売れて帰宅したら五時だったそうです。
 そして計算してみると、その日の利益が、当時にしても僅かな額である二十四銭三厘でした。そこでその御礼を神さまに申し上げたところ、「まあ、考えみよ」とのご指示がありました。
 それに従って考えていると、自分はその僅かな儲けを得るために、合計七百回余りも頭を下げて挨拶したことなどが思い起こされました。
 行商第一日目のこの経験で、師は問屋商売ではわからなかった金儲けの大変さとともに、信心によって、いつの間にかうろたえない心にしていただけていたこと、行くところまで行けばおかげをこうむれることなどを、悟られていたのです。

湯川安太郎 その人と時代

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