玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

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(十八)「あんな良いお母さんはないで」と、師は後年、賞賛の言葉をもらされた

弓張提灯を持って朝から晩まで商売していた、その時代のことを、自分は少しも忘れてないし、ときには夢に見ることもある……
この回想には、しみじみとした「情」がこもっているように感じられ、大きな荷を担いで、後年には荷車を引いてまわりつつ、師が何を、どんなことを考えておられたのかと、思わされます。
 また、これは大正十五年十一月の述懐ですから、教会は現在の会堂の、ひとつ前の時代です。

 その、「こんな大きな教会」がさらに大きくなり、これはちゃんと記録されていることですが、参拝者が一日一万人にもなっていきました。
 そこに至る道筋には、師の「人間わざとは思えない」勉励があったのはもちろんですが、それを支えた奥様の、内助の功の大きさも様々に伝えられているのです。
ですから師は晩年、ご子息(二代大先生)に、「あんな良いお母さんはないで。どんな無理を言うても、はいと言うだけや」と言われ、「お母さんは、女には珍しく腹の太い人だ」とも言っておられます。そして最晩年には奥様に、「よう辛抱したな。わしより一日先に死にや」と、最大級の感謝とねぎらいの言葉もかけておられるのです。

けれども、時間をふたたび明治二十八年にもどせば……。師は教会を持つことなど、まだ夢にも思っていなかった小売り行商人であり、結婚直後から「あれをせい。これをせい」と、奥様にも商売の下準備を手伝わせておられました。
得意先のお茶屋さん(貸し座敷業)が、仕入れてそのまま客に出せるよう、前夜遅くまで、するめを細かく裂いて火であぶったり、同じくあぶった小さな干しカレイに醤油の薄味をつけたり……
結婚されたのが年末でしたので、商売人にとっては、かきいれどきの忙しさでした。
 「嫁入りして来た早々から、慣れんことをさして、そして初めての正月を越さしてもろうたんや。お母さんもなかなか苦労したで」
 晩年の師はこうも言っておられますが、その苦労は歳末だけではなく、ずっと続きました。
 「夜もろくろく寝ない人と暮らすことが、一番つらかった」
 奥様のこんな言葉が残っており、睡眠不足と過労のため、目が真っ赤に腫れ上がったこともあったということです。

湯川安太郎 その人と時代

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