玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

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(十九)自分の身分に合うたようにする

 信心に励み、それをすべての土台にして、生活と商売をしていく。結婚前も結婚してからも、師はその基本姿勢を守りつづけられました。
 たとえば、塩干物の小売りを始めて半年ほどしてから家を借りられましたが、まだ結婚前ですから、所帯道具など何もありません。「片っ端から買うて行かにゃならん」のですが、「自分の身分に合わして」やっていくため、食器類などをしまっておく膳戸棚はお手製の物でした。
 「これは何や」
 「片栗箱を削ったんや」
 手近の木箱を流用して友達に笑われましたが、「それを恥とも何とも思わない」「私の家ではそれが立派な膳戸棚だ」「買おうと思えば買えるが、そら順序ではない」と考えられ、本物を買われたのはその五年後でした。洗面器なども、小さなものを結婚後も使っておられたそうです。
 分相応ということを心がけられたわけですが、その「分」は職業や収入以前の、神さまに対したときの自分という、そこに基準を置かれていたのでしょう。したがってそこに、見てくれが悪いとか、人に笑われたら恥ずかしいという気持ちなど、入る余地もなかったのだろうと思われます。
ですから後年、師は教えておられます。
「人さんが何を着、何をしようとも、人は人、我は我、自分の身分に合うたように。人が何と言おうと、人のことはほっときなさい。自分の身分に合うようにすることが尊い。それが本当のことだ。何でも神さまは教えてくだされます」
もちろん、「人は人、我は我」が間違った自尊心によるものだったら話になりませんし、「身分」が社会的なそれでないことも、言うまでもありません。どちらもやはり、神さまに対したときの自分という、そこに基準を置かれているのです。

 また、師は商売についても実意丁寧を基本にし、買ってくれる人の利便を考えられました。
 お茶屋さん(貸し座敷業)が、酒のあてに使うスルメや干し魚など、前の晩に切ったり、あぶったりして手を加え、そのまま客に出せるようにして売りに出られました。結婚後は奥様も夜なべで手伝いをされ、幼少期の二代大先生は、両親のその姿を見ながら育たれたのです。
 そんなわけで後年、お下がりの干し鰈(かれい)を二代大先生が火鉢で上手にあぶられたとき、
 「おまえ。こんなこと、どこで覚えた」
 「小さい時分に、ちょっとまねをして、やってみたことがあるように思います」
 「ああ、そうか。私はそういう苦労をしながら、信心の勉強をさせてもらい、商売と実意ということを考え、得意先をまわっては人情の機微ということを、わからせてもらうことができた」
 と、親子で話し合ったこともあったそうです。

湯川安太郎 その人と時代

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