湯川安太郎 その人と時代
- 幼少期・少年期
- 青年期
- 奉公期(信心始め)
- 小売り行商期
- (十六)小売り商売を決心したのは、天地のお言葉には背けないと思ったからだった。
- (十七)気兼ねなく恩返しをさせもらいたい。結婚相手も、その思いで決められた。
- (十八)「あんな良いお母さんはないで」と、師は後年、賞賛の言葉をもらされた
- (十九)自分の身分に合うたようにする
- (二十)三年くらいなら辛抱させてもらえる
- (二十一)商売も実意丁寧。「筋の通った」偏屈で、得意先を心服させていた
- (二十二)これもまた実地に試して、「お参りは銭儲けになる」と得心された
- (二十三)試しに三年間お供えをせず、「研究的態度」で、教えの確認をされていた。
- (二十四)生活のなかでの経験も信心にあてはめ、思いを深める糧(かて)にされていた。
- 「商売・信心」苦闘期
- 「商売・信心」開眼期
- (三十)そうだ。「神さまはご主人。自分は奉公人」なのだ!
- (三十一)とにかくもう、自分をゼロにして、親方(神さま)に奉公するんだ
- (三十二)奉公人になりきれば、神さまも、ちゃんと段取りしてくださる
- (三十三)時間も商売も忘れて、知り合いの相談に乗っておられた
- (三十四)将来の希望としては、日本全国をまわって、信心のお手引きをと思っておられた
- (三十五)布教を進めるため、先生に来てもらおうと、土佐堀で小さな家を借りられた
- (三十六)みきを忘れず、愚痴不足を言わず、とにかく信心に骨を折られた
- (三十七)人助けの「腕」ができたら、天地が放っておかなかった
- (三十八)ただ、祈りのみを「布教資本」として、 長年にわたる勤めを開始された
- (三十九)師の人生は、曲折の前半生と、 一本道の後半生からなっていた
- (四十)師の遺徳はいまもそのまま残り、人助けの土台になっている