玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

MENU

(二十二)これもまた実地に試して、「お参りは銭儲けになる」と得心された

また信心についても、師は「私は物事にいきあたったら、必ず自分のものにする」という姿勢で、修行と勉強に励まれました。
 たとえば、教会の先生はしきりに日参を勧められるのですが、億劫なこともあるし、なぜ日参しなければならないのか、理屈家だった師には、当初は合点がいきませんでした。そこで、日参と商売との関係を、「実験的にというと恐れ多いが」という思いで、確認してみられました。
日参する月としない月を一カ月単位で繰り返し、それぞれの月の売り上げを点検していく。すると日参した月には商売も好調で、しない月には売り上げの減っていることが、はっきりとわかりました。一カ月単位ばかりではなく、十日単位でやってみても同じことでした。
 師はその結果、なぜそうなるのか理屈で説明はできないけれど、日参しないときには「心の隙」といったものが生まれ、それが商売にも現れるからだろうと思われました。そして、「これなら、お参りは銭儲けになるなあ」と得心されたのです。
 ですからこの体験をもとに、後に師は信者さんに、「みんなも、お参りは銭儲けやと思って参らせてもらいなさい」と言っておられます。もちろん、信心の真の目的や目標は「商売繁盛」だけではありませんが、そこから入って進んでいくという意味で、思い方の工夫を教えられたのです。

その間、家庭では明治二十九年に初めての子供が生まれていました。しかし、三代金光様から「和賀之助」と名付けていただいたこの長男さんは、一歳の誕生日を迎えることなく、病気で亡くなってしまいました。
 師はその前に、誰かと子供を引っ張り合って向こうに取られるという夢を見ておられたので、「あとから考えて、あれがお気付けであったと気が付きましたが遅かった」のでした。
 そしてそれ以降、師は子供を五人、教会を持たれてからは修行生を十七人亡くされることになります。生い立ちや、その過程で味わわされた経済面での苦難と同じく、これもまた「すさまじい」経験をさせられることになるのです。
明治三十一年、後に銀座教会の初代大先生、湯川誠一師と結婚される、長女ツヤさま誕生。明治三十三年、玉水教会二代大先生になられる次男、茂師誕生。四人家族の年月が流れていきます。

湯川安太郎 その人と時代

湯川安太郎 その人と時代

Copyright © 金光教 玉水教会 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.