玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

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(二十六)何でも「めぐり」と言われる神さまに、我慢しきれず談判もした。

 また商売については、神さまから厳しい指摘を受けられ、これも苦しみながら、ひとつひとつ改めていかれた時期もありました。
というのが、師は子供のころから商売を習い覚え、十三、十四という年齢で「やり手」だと言われるほどにもなっておられましたが、それは鮮魚問屋でしたから、商品の量も金額も大きくて、いわば「おおまかな」商売ぶりだったのでしょう。
ところが小売りの立場になってみると、それでは駄目だと、神さまから次々に告げられました。
 商売についての「勉強が足りない」。その姿勢や思いについての「真実が足りない」。物や商品その他何でもの「始末が悪い」。金の使い方に考慮が足りず「経済」が悪い……
 すなわち、努力すること、真実をもって働くこと、物の始末と経済を考えること。それらが揃って初めて、神さまから「商売勉強」ということに合格点をつけてもらわれたのですが、そうなるまでには六年かかったということです。
 それにしても、頼母子に入ったのは浅知恵だったとしても、真面目に熱心に働くことについてなら、師は誰にも引けは取っておられなかったはずです。なのにこれだけ神さまが厳しかったのは、やはり師の将来を見通して、後日のため、後年のためにと、鍛えておられたのでしょうか。

 一方その間、家庭生活においては、子供が次々に亡くなるという苦難がつづきました。そのたびに師は神さまから、「先祖の罪のお取り払い」「めぐりのお取り払い」であると教えられていたのですが、それには納得ができませんでした。
なぜなら、子供を亡くしたときばかりではなく、商売で損をしたときも、それ以外で何かあったときも、神さまは「めぐりの取り払い」だと言われるからです。これだけ苦難がつづいたのだから、めぐりも大分帳消しになっただろうに、まだ神さまは、「先祖の罪によってそうなるのだから、しばらく辛抱せよ。こうしないことには、その方の身が浮かばれないのだから」とおっしゃる。
 そこであるとき、どうにもこうにもたまらなくなって、師は神さまに談判されました。
 私はもう聞きあきました。もう信じられない。そんなことを言ってごまかさずに、「神にはおかげをやる力がない」と言ってください。そう言っていただけたら、私もそのつもりで信心いたします。言ってください。神には力がないと……
 後年、師は「こんなこと言うて、ようこの口が裂けなんだことですな」と述懐しておられますが、その必死の、息詰まるような、子供を亡くして涙をこらえつつだったかもしれない追及に対しては、「神に二言はない」という言葉が返ってくるばかりでした。そこで師は、「それなら私の先祖がどんな罪を犯したのか、せめてそれを教えてください」と迫られたのです。
 そしてその結果、四代前が大きな罪を犯したので、そのめぐりが現れているのだということを、教えてもらわれました。しかもそれは肉体上の先祖ではなく、霊(みたま)としての四代前の師自身が犯した罪であり、信心してなければ二十代は苦難がつづくとも、告げられていたのです。
 この壮烈な体験から三年後、師は(次回に紹介するお話によって)「なるほど、めぐりというものはある」と、得心されたそうですが……

湯川安太郎 その人と時代

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