一方、時間がかかることについては、師は「親に喜んでもらい、安心してもらう」という、ご自身の願いにおいても、それを経験されました。
というのは、師は最初は、そのためには身体丈夫で商売が繁盛し、家庭も円満にいくようにと、自分だけのこととして祈念しておられたのです。
しかしそのうち、兄弟に一人でも不幸な者がいたら、やはり親は心配するに違いないと気づかれました。そこでそのことも併せてお願いされるよになり、その範囲が、親の安心のためには親族一同が幸せでなければと、さらに広がりました。
けれども、それだけ増えた願いは「なかなか三年や五年じゃいかん。八年かかりました」とのことでしたが、そのかわり、かなえられて親に安心してもらえたときには、ご自身も「安心と喜びのなかへ」入ってしまっておられたそうです。
ですから師は後年のお話のなかで、自分のことだけではなく、妻子、親兄弟、親類のことなど、「行き届いたお願いは愛情の働きです。何もかもお願いしたからと言うて十分間もかからんのですから、神さまにお頼み申すことを忘れんよう」、すべてを願うようにと教えておられます。
ただし、こういった逸話に接すると、師が強い信念で一本道を進まれたように感じられるかもしれませんが、実はそうではありませんでした。
これまでの連載で紹介させてもらったとおり、師は商売面では借金を背負ってしまわれ、家庭においては、子供を何人も亡くしておられます。
だから信心を始めて九年目か十年目には、「フラフラになった」ことがあり、「君、信心してるのか。心配してるのか」と聞かれたら、「信心やめて、心配してる」とこたえなければならないような、そんな状態にもなられたのです。
「心配する心で信心せよ」という教えについても、十二年間骨を折ったけれど、「どうしても、何としても」、そんな信心にはなりませんでした。
それだけに、この「どうしても、何としても」という言葉を重ねた述懐は、自分を叱咤激励して努力をつづけられた師でさえできなかったという、教えの難しさを示しているようにも感じられます。とはいえ、それは本当は、「わかってみれば、何でもないこと」なのだそうですが……
ともあれ、師はそのときには、「これはまだ途中や。途中で頭ひねっても仕方がない。行くところまで行こう」と思われました。
「もう、こう解釈するより解釈の仕方がなかった」そうで、この言葉にも、考えて考えて努力しぬいたその果てにという、七転八倒の体験が含まれているのでしょう。