玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

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(三十一)とにかくもう、自分をゼロにして、親方(神さま)に奉公するんだ

 前回は、商売の赤字拡大に長らく苦しまれた師が、遂に「神さまはご主人で、自分は奉公人」という境地に到達されたことを紹介しました。
 布教開始後の玉水教会で、教えの基本になった姿勢ですが、それが具体的にはどうすることなのかを、師は次のように伝えておられます。
 「もう、奉公人として、神さまをご主人に戴いて家に祀らせていただき、自分は奉公人--番頭か丁稚になって、自分をゼロにし、商売や仕事は、親方の商売、親方の仕事、世帯も親方の世帯、自分は親方に使うていただいておる。そして、これからも使うていただけるように、骨身惜しまず実直に働いて、そろばんを放って一心に、神さまにお頼りし、おすがりしていくんだ」
 つまり、普通に考えれば仕事は自分の仕事なのですが、その「常識」を捨ててしまい、自分は親方(神さま)のところに奉公して、その仕事をさせていただいているのだと、思いを定めなさい。収入も生活も、すべてその思いを基礎にして考え、対処していきなさいということです。
 そしてこの教えの前提には、ご自身が経験され、当時の信者さんたちもよく知っていた、商家への奉公の約束事や、そこの主人(経営者)と奉公人(従業員)との関係があります。

 すなわち、昔の住み込みの奉公人は、主家のために一生懸命働くことを要求され、そのかわり衣食住と小遣い銭は主人から保証されていました。
 まじめに働けば、丁稚(でっち・年少の見習い従業員)から、手代(てだい・一応の仕事を覚えた格上の従業員)、さらには番頭(管理職)へと昇進させてもらえ、独立もさせてもらえます。
 反対に怠けたり、ずるいことをしたら怒られますし、それが目に余る場合にはクビにもなります。また、自分の勝手な判断で損をしたときは別ですが、主人の指示どおりにやって赤字が出ても、それは奉公人の責任ではなく、主人の責任です。
江戸時代以来、明治以降も、大阪は「商いの都」として栄えていましたから、こういった約束事は、当時は誰でも知っていることだったのです。
 そして師は、主人と奉公人のこの関係を、神さまと人間の関係に「あてはめ」られたわけで、その思いを実行してみると、商売も生活も心配不要で、都合良く進むことを確認されました。
 たとえば、さんざん苦しんできた商売の赤字体質も次第に好転し、そのうちお金が余るようになってきました。奉公人としての衣食住は親方が保証してくれるものだという「あてはめ」ですから、生活費一切はまわってくるお金のなかから出させてもらって、それでも余ったのです。
 そこで、それを「月給」として頂戴され、貯金しておかれたのですが、それもまた神さまのお金を自分のものにしていることになり、「そこにまだ我が残っている」と気づかれました。
 ですから、全額を神さまのお商売の営業資金に繰り入れ、その面でも「自分をゼロに」されたのです。

湯川安太郎 その人と時代

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