玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

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(三十四)将来の希望としては、日本全国をまわって、信心のお手引きをと思っておられた

ただしその時代、師は自分が教会を持つことなど、夢にも思ってはおられませんでした。
 「私、先生になるのはいやでした。商売しつつ片手間に助けていきゃ面白い。体も自由です。今になって、よう先生になったと思うておりますが、初めはいやでした」
 こんな述懐が記録されており、その当時は、五十歳くらいまでは商売しながら信心を磨き、まとまったお金も作って、布教のお役に立たせていただきたいと、願っておられました。
 「私はワラジを履いて金を首にかけて、日本中をまわろうと思うておりました。それが一番楽しいことのように思うていた」
 そして、あの村に十日、この町に一カ月という具合に各地を巡り、「難儀しておる人を救い助けさして頂き、目にものみせては、それを最寄りの教会へお参りさすよう、信心のお手引きをさせて頂こう」と、それをご自身の将来像にしておられたのです。
土佐堀あたりにも布教所があれば、もっと多くの人の助かりにつながるだろう。そうも思い、それに適した場所に空き家を見つけて、ご自身が家賃を払って借りられたのも、この時代です。
 しかしそれにしたところで、通っていた教会の先生に来ていただくためで、まさかその三年後、そこで自分が布教を始めることになるとは、思いもしておられなかったのです。

とはいえ冒頭で紹介したように、師は「商売一心」には、どうしてもなれませんでした。そしてさんざん苦しんだあげく、教祖様に、「私を商売一心にしてやろうと思われたら、難儀な人に引き合わさないでください」と訴えられました。
 そんな人を見たら気の毒なと思い、一心が欠けます。だから、見せないようにしていただきたい。ただし、今度は見かけたら、追いかけます。三年間お詫びしましたが、もうお詫びもしません。
だから、困っている人に会わせないようにと、そう願っておきますが、「見かけたら追います。もう逃げません。進んで追いかけて行きますから、そのつもりで。一心になと二心になと、あなたにお任せいたします」
壮烈な思いが込められた訴えで、「人を思うこと人後に落ちず」という言葉が、すでに当時から実証されていたことがわかります。
 けれども実は、そうやって商売一心になれないほど難儀な人に引き合わされたという、それが神さまの、「これでも人が助けたいか」という、ご試験だったのです。
回心ができた。空き家も借りた。試験はつづく。ご自身はまだ自覚しておられなかったのでしょうが、その後の展開を知る我々には、少しずつ、しかし確実に、布教開始時期が迫ってきていることのわかる、息詰まるような段階です。

湯川安太郎 その人と時代

湯川安太郎 その人と時代

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