玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

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(三十五)布教を進めるため、先生に来てもらおうと、土佐堀で小さな家を借りられた

 前回で紹介したように、師はご自分が教会を持とうとは思っておられませんでした。しかし、ご自身の信心を進めることとともに、布教の進展ということも、常に考えておられました。
 たとえば、「土佐堀あたりにも布教所がほしい」と思い、参っていた教会の先生に相談して、賛意を得られました。そこで明治三十五年か六年頃、一軒の空き家を見つけて、先生に確認されました。
「家を見つけてきましたが、隔日ぐらいに(お話をしに)来ていただけますか。せっかく借りても、来てもらえなければ仕方がないが」
 「いや、毎晩行きます。毎晩行けにゃ、隔日にきっと行くから」
 その言葉を受けて師は、家賃は自分と信心仲間が出させていただくと決められました。こうして土佐堀裏町(当時の町名)の小さな家を借りられたのですが、その場所は現在の玉水教会より北寄りで、土佐堀通りの少し南にあたる一画です。
 昔のことですから連棟式の家屋で、二階建てとはいえ、頭のつかえそうな低い造り。下は二間で、狭い台所はあるものの、便所は外で共用でした。

 また、師の思いとして、ある修行生にそこへ移ってきてもらい、将来、その人の教会として布教してもらえればとも、願っておられました。
 「私が教会持つというような気分はひとつもない」「書生の行く場所をこしらえたつもり」で、そのため、その修行生の奥さんを留守番役に頼むなど、細かい配慮もしておられたのです。
 ところが教会の先生は、最初の一週間は約束通り来てくださったのですが、何かご都合でもあったのか、足が遠のいてしまわれました。
 代わりにお目当ての修行生が来て、こちらは二年近くつづいたものの、とどのつまり、「どうもうまくいかない。先の見込みがないので」と、もとの教会に帰ってしまうことになりました。
 ですからそのあと、空き家同然の家に家賃を払うという時期が、一年ばかりつづくことにもなりました。そして結局、「夜分だけでも、湯川さんらが行ってくれたら」という教会の先生の意を受けて、師と信心仲間の一人と、二人がそこへ行って座ることになったのです。

湯川安太郎 その人と時代

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