玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

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(三十六)みきを忘れず、愚痴不足を言わず、とにかく信心に骨を折られた

 そんなわけで、昼間は商売をしつつ、「夜分三時間ほど、からっぽの教会で八時頃から」お話をされていたのですが、信心の話をしだすと時間を忘れてしまう師のことですから、終わるのが十二時を過ぎる夜も多かったという熱心ぶりでした。
 すると、始めてから二カ月ほどで八十人ほどの人が集まり、三カ月たったときには、百二、三十人が来るようになりました。驚異的と言える実績で、これは師にすでに、それだけの「徳」が備わっていた証拠なのでしょう。
 実際それについては、信心を始めて十四年目に、「思うままのおかげ」をいただけるようになっておられたという、裏付けになる事実があります。

 「私は二十歳で信心させていただいて、三十五のときに、(神さまから)思うままのおかげをやるというお言葉をいただいて……」
 こんなお言葉が残っていますが、ただしそれから十カ月ほどは、思うままどころか、その反対反対の現れがつづいたそうです。
 「その十カ月間の苦しかったこと。その苦しいなかにも、みき(ありがたき・恐れ多き・もったいなき)を忘れず、愚痴不足を言わず、随分つらかったが、十カ月して初めて実現しました」
 ふりかえれば幼少期以来、師は人間関係や商売などで、数々の苦難を経験してこられました。信心の側から言えば、その苦難のレベルが次第に上がり、遂にこの段階に達したということでしょう。
その間、「こんなに信心しているのに、いいかげんにおかげくれたらと、何十回思ったか」しれなかったのですが、のちには、「いろいろの苦難と、おかげくれなかったために、信念も出来、改まりもできたのだ」と得心されました。
もし神さまが、「私に言うだけのおかげくれておりましたら、とても本当のおかげはこうむる事は出来なかった」、だから「おかげのなかったのが、おかげだった」とも、悟られたのでした。
 つまり、そんな経緯があってこそ、「思うままのおかげ」にしていただけたわけで、それは玉水教会としての布教開始まで、あと少しという時期のお話です。そして、それから三年して、「言うままのおかげ」にもしていただけたのです。
 ですから師は、そうなるまでに「十七年ばかりかかってますな。しかし、何年かかってもかまわん」と言っておられます。「本当にここまで来れば助かりですが、骨は折れます」 けれども、「そこへ行けば本当に楽です」とも。

湯川安太郎 その人と時代

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