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(三十九)師の人生は、曲折の前半生と、 一本道の後半生からなっていた

 この連載、前回までは、明治三年(1870)に誕生された師の幼少期から始め、明治三十八年(1905)の、玉水教会の布教開始に至るまでを紹介してきました。
 読者の皆様には、師の前半生の苦難にみちた道筋や、ご神縁を頂かれてのちの猛進ぶりなど、あらましはご理解いただけたことと思います。そこで最終回の今回は、総集編として、その「まとめ」をさせていただきます。
 師の前半生をたどるなかで、まず浮かびあがってくるのは、「苦難の連続」という事実です。
 幼くして父親を失い、親戚に預けられて、子供心にもつらい思いをされました。当時はまだ義務教育ではなかったとはいえ、小学校も三年でやめさせられ、親戚の家が鮮魚問屋でしたから、その手伝いをして働くようになられました。そして十代前半から店の切り盛りをまかされ、前々からの大きな負債に泣き、あまりの苦しさに、自殺寸前にまで追い詰められたこともありました。
 一念発起して大阪へ出てからも、奉公先の主人が身勝手な人だったので、商売の金策や、不義理の尻ぬぐいに苦しまれました。さらに、ご自身で小売り商売を始め、結婚されてからも、借金が増えたり子供を何人も亡くしたり、「よくまあ、これほど」と思うほどの難儀がつづいたのです。

 しかし、それであきらめず、自暴自棄にもならず、幾たびもどん底から這い上がられたのは、「なにくそ負けるものか」という気概と、「親大切」の心、そして瀕死の病いを治してもらったことで生まれた、神さまへの思いゆえです。
 その意味で師の人生は、苦難を乗り越えつづけた曲折の前半生と、ご神命によって布教を開始して以降の、(苦難はさらにつづきましたが)一本道の後半生からなっていたと言うことができるでしょう。そしてその道筋を、悩み迷いつつも前進していかれた根底には、師の性格や気質に、負けん気、激しさ、潔癖性、さらには強い向上心があったからだと思われます。
 かくかくの特性を持った人間が、しかじかの境遇に置かれたので、これこれこういう人生を歩むことになった。そこには大きな「めぐり」も関係していたのですが、その取り払いも含めて、これはやはり、神さまのおはからいがあってのことだろうと感じさせられます。
 もちろん、それは師が神さまを求められたからこそのおはからいであり、「求めた」のか「求めさせていただけた」のか、師は当然後者の思いを持っておられたことでしょうが、「神縁まことに不思議にして」という拝詞が思い出されます。

湯川安太郎 その人と時代

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