玉水教会初代大先生70年祭奉迎記念Site

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(四十)師の遺徳はいまもそのまま残り、人助けの土台になっている

 ともあれ、師はその前半生の経験を踏まえ、後半生は、亡くなられる昭和十九年(1944)まで、ひたすら人助けのお取次ぎに励まれました。無論、ご自身の信心を進める努力にも怠りはなく、その修行の厳しさに接した方の、「人間わざとは思えなかった」という回想が残っています。
 また、晩年に到達された境地については、「いまの私の信心を人に言っても理解してもらえないから、わかりやすいおかげ話をしているのだ」という、ご自身の言葉も記録されています。
 そして、その努力によって玉水教会は、「土佐堀の金神さん」という愛称で広く知られ、普通の日にも一日一万人の参拝者があるほどの、巨大な「徳」が示される教会へと成長していったのです。
 「まだ足りん。まだ足りん」と、常に自戒督励をつづけられた結果のことであり、したがって、「絶対に」という形容を使った次の言葉も、単なる強調ではなく、まさにそれが事実であることを確信されてのものなのでしょう。
 「祈りが空に消えることは絶対にない」
 「本当の金光教を伝えさして頂きたい。本当の金光教が衰える、亡びるという事は絶対にない」

一方、連日連夜のお取次ぎとともに、師は信者さんへの教話にも、日々、力を注がれました。
 「話を聞いて助かる道」という教えにのっとり、話しだすと時間を忘れてしまう熱心さで、「汲めども尽きぬ泉のごとく」という形容そのままに、ご自身の体験や信者さんのおかげ話などを題材にして、信心の本道を伝えていかれたのです。
そして、その内容豊富でわかりやすいお話は、現在、『湯川安太郎信話』全十六集として刊行されています。そこには明治から昭和戦前という時代の、大阪を中心とした市井の生活、風俗、人情なども示されていて、興味深く親しみやすく読める、信心の案内書となっているのです。
 またさらには、大きくて高いものになった師の「徳」は、ご帰幽後もそのまま「遺徳」となり、歴代大先生のお徳も加わって、布教百十年に達した玉水教会の、人助けの土台になっています。
 そして私たちは、そこに参らせていただいている者の集まりです。「祈りが空に消えることは絶対にない」という断言を頂き直し、「本当の金光教」信者をめざして、信心を進めていくべき立場であろうと思われます。    
                 (了)

湯川安太郎 その人と時代

湯川安太郎 その人と時代

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